盟主復権の年
時は2018年オフ。
巨人は14年以来優勝から遠ざかり、危機感を覚えたフロントが頼ったのは百連練磨の名将原辰徳だった。
全権監督を任された原はFAで広島から丸佳浩、西武から炭谷銀仁朗の両獲りに成功。
更にオリックスを自由契約となった中島宏之、マリナーズを退団した岩隈久志、MLBで球宴に出場した経験を持つライアン・クック、この年パドレスでシーズン20発をクリアしていたクリスチャン・ビヤヌエバを相次いで獲得し大補強を敢行した。
いざ開幕するとリードオフの吉川尚輝が長期離脱を強いられ、当初の勝ちパターン候補が軒並み壊滅するも亀井の1番起用や鍵谷・デラロサの緊急補強等でチームの建て直しに成功。
夏場にラミレス率いる左腕王国DeNAの猛追を受けるも、8月には主砲岡本が大爆発しこれを振り切ってのリーグ優勝を決めてみせた。
なお13年以来の出場を決めた日本シリーズでは
(手記はここで途切れている)
[パワーナンバー]
20100 20080 91783
[主要選手紹介]
17・18年に沢村賞の栄冠を手にした絶対的エースも腰痛に苦しみ19年は本領を発揮出来ず。
それでも3度完投して貯金は5と意地を見せた。
開幕から強力打線の加護を受けて白星を量産。
最多勝・最高勝率・最多奪三振の三冠に輝き実質エースの役割を果たすと、球団史上初のポスティング利用で異国の地へと旅立って行った。
伸び悩んでいた15年ドラ1右腕が交流戦で遂に覚醒。
終盤やや息切れしてしまったが、サクラドロップを武器に8勝を挙げた。
7月には球団史上初の10連投を記録するなど兎に角投げまくった鉄の左腕。
ロングリリーフ、セットアップ、臨時クローザーと何でもござれの活躍でマシンガン継投を支えた。
春先はツーシームを解禁して先発に再挑戦したり、ブルペンデーのスターターを任されたりしていたが夏場以降は勝ちパターンに定着。
与四球が減少し鍼治療前の安定感を取り戻した。
戦力外候補にも名が挙がっていたが、かつての輝きを知る原の鶴の一声で残留が決定。
結果リリーフで復活を果たし、オフにはプレミア12日本代表でも腕を振った。
肘を下げる事でスライダーのキレが増し、クックに変わって守護神に定着。
夏場には疲労で調子を落とすも、デラロサが9回に回ってからは8回の死神として登坂を重ねた。
大江・吉川光・クックらが打ち込まれ崩壊したブルペンを救うべく途中加入。
Dバックスでシーズン14勝を挙げた経験も持つが、巨人在籍中はリリーフに専念したまま終わった。
高卒ルーキーにして横浜スタジアムの優勝決定戦、更には阿部慎之助引退試合で登板した期待の若武者。
この頃はカットボールを武器としていた。
彼の人的補償として功労者の内海が流出した事もあり、かなり風当たりは強かったいぶし銀の捕手。
それでも自己ベストのOPSを記録し、主に菅野や山口と言った主戦投手と組んだ小林、外国人と組むことが多かった大城と比べて若手投手を多くリードし存在感を発揮していた。
炭谷加入で原との不仲説も囁かれた扇の要。
勿論そんな事はなく92試合に出場すると、山口と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。
漢気溢れる大型捕手。
スローイングに課題があった為一塁手としての出場機会を増やし、翌年以降の飛躍に繋がる一年を過ごした。
通算400本塁打に王手を掛けて迎えたうなぎ。
ビヤヌエバ同点満塁弾からの連発弾と言う劇的な形でメモリアルアーチを記録し、引退試合でも坂本との新旧主将アベック弾でファンの脳裏に最後の勇姿を刻み込んだ。
米国式の2番・最強打者論で丸の前を打った主将は歴史的な傑出度を実現。
ソトと本塁打王を争ったが、桜井を始めとする同僚投手陣に阻止されてしまった。
マギーの後釜として期待されたメキシカン。
変化球攻めには適応したもののインハイの対応に致命的な弱点を抱えており、研究された5月以降は失速してしまった。
史上最年少3割30本100打点を達成した前年から見た期待値的には物足りないシーズンに。
それでも一塁の他大城や阿部が入る際は三塁、加えて左翼もこなし献身的にチームを支えた。
大補強の目玉として加わった優勝請負人。
左の強打者が不足しフリースインガーが多いチームに新しい風を吹き込んだ。
エスコバーや岩崎と言った並み居る左腕を見事に粉砕。
陽岱鋼や阿部らと共に代打層に厚みを齎した。
非常に調子のムラが激しかったが、好調時には手が付けられないカリブの大砲。
PJからの涙の逆転弾は多くの虚カスが覚えているであろう。
状態イイネ!
球数が稼げ、長打も狙える理想的な核弾頭。
左腕には絶望的に弱かったが、守備走塁でもベテランの味を出していた。
高卒ルーキーながら打率.332でイースタン首位打者に輝いた若き天才。
健大高崎で通算75発の長打力も兼ね備え、将来を嘱望されるトッププロスペクトの1人だ。