⚠️⚠️始めに⚠️⚠️
この記事は歴代の巨人のチーム得点数トップ5を紹介する記事です。
当時の時代背景等は考慮しておらず、傑出度の観点から見た「巨人最強打線ランキング」ではありません。
簡単に言うと統一球環境で叩き出したチーム500得点とラビット環境で記録したチーム500得点では価値が大きく異なりますが、今回の記事ではこの辺りを考慮していません。
[第5位 1951年巨人打線]
チーム打撃成績
打率.291 本塁打92 盗塁192 得点702
トップバッターは2リーグ分裂後初優勝を果たした1951年の巨人。
打線の中核を担ったのは「打撃の神様」川上哲治で、この年は打率.377をマークしてリーグMVPに輝いています。
また後に3度首位打者に輝き、野球殿堂入りを果たす事となるウォーリーこと与那嶺要が加入したのもこの年。
32本塁打を記録した青田昇が居たとは言え当時は本塁打か非常に出づらい時代(リーグワーストの国鉄に至ってはチーム本塁打数僅か36本)であり、足を駆使した繋ぐ野球で多くの得点を積み重ねた事は想像に難くありません。
[第4位 1949年巨人打線]
チーム打撃成績
打率.273 本塁打125 盗塁112 得点706
第4位にランクインしたのは前述した51年から2年遡った49年の巨人。
青田・川上が中軸を担った事に変わりはありませんが、注目は主に5番を担った平山菊二。
打率.273 10本塁打 65打点と特段目立つ成績を残した訳ではないものの特筆すべきはその守備力。
フェンス際でのアクロバティックなプレーに定評があった平山は48年の東西対抗戦(今で言うオールスター)で南海・飯田徳治の放った本塁打性の打球を好捕。
このプレーがきっかけで平山は「塀際の魔術師」の異名を取るようになります。
そう、パワプロの金特能「魔術師」の元ネタと言うわけです。
この3人以外ではリードオフとして打率.307をマークした「猛牛」千葉茂らの活躍が目立った年でした。
[第3位 2010年巨人打線]
チーム打撃成績
トップ3に食い込んだのはラビットボール全盛期である2010年の巨人。
4番のA・ラミレスが球団の右打者歴代最多49本塁打を記録し坂本勇人、小笠原道大、阿部慎之助の3人もシーズン30発をクリア。
ドラフト1位ルーキーの長野久義も新人王のタイトルに輝き、長打力にモノを言わせた重量打線が完成しました。
しかし投手陣ではD・ゴンザレスや守護神M・クルーンが不振に陥りS・グライシンガーも長期離脱。
13勝を挙げた東野峻や11勝の内海哲也らも夏場からは調子を落とし、これだけの破壊力を発揮しながらチームは3位に終わっています。
[第2位 1950年巨人打線]
チーム打撃成績
打率.268 本塁打126 盗塁212 得点724
1948〜50年にかけての球界再編に揺れた巨人が3度目のランクイン。
この年も千葉が1番に入り青田・川上で返す形は変わらなかったもののチーム盗塁数は驚異の200個超えを記録。
クイックが存在しない時代であり鈍足で知られる川上でさえも34盗塁と相当走っています。
しかしこの年は小鶴誠、岩本義行らが猛威を振るった松竹の「水爆打線」最盛期。
この松竹に加え「フォークボールの神様」杉下茂を擁した中日の後塵も拝し3位に終わっています。
[第1位 2004年巨人打線]
チーム打撃成績
打率.275 本塁打259 盗塁25 得点738
満を辞して最後に登場したのはやはり堀内巨人の「史上最強打線」。
元近鉄の4番T・ローズ、当時の4番高橋由伸、元ヤクルトの4番R・ペタジーニ、元ダイエーの4番小久保裕紀、後の4番である阿部、元西武の4番清原和博、元広島の4番江藤智と錚々たる面々が揃っていました。
正に4番コレクターと言われた巨人式補強を象徴する超重量打線と言えるでしょう。
しかしこの年の投手陣は上原浩治が防御率2.60で最優秀防御率のタイトルに輝き、リリーフには前田幸長、B・シコースキー、岡島秀樹らが居たものの木佐貫洋、工藤公康、髙橋尚成等名前だけ見れば強そうな上原以外の先発陣が壊滅。
代走で出場していた鈴木尚広以外に誰も盗塁出来る選手はおらず、センターローズ、ショート二岡智宏等守備にも不安を残す布陣だった事が祟ってこれまた3位に終わってしまっています。
これ以外にも松井秀喜を擁したミレニアム打線やON率いるV9期、落合博満、広澤克実、J・ハウエル等他球団の4番を集めた90年代など魅力的な打線を多く揃えるのが巨人と言う球団。
今後も浅野翔吾や秋広優人と言った未来の巨人打線を担う逸材から目が離せません。